奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界 第8回 東洋 不思議の世界 第9回 カーンの死 “夢”の終わり


<奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界>
Wonderful World of Albert Kahn
第8回 東洋 不思議の世界(Far East : Expeditions to Empires)
第9回 カーンの死 “夢”の終わり(The End of the World)


第8回
1914〜27年にかけて、カメラマンはアジアに派遣された。
レオン・ブジーは確か軍人だったような気がするんだけど、
フランス写真家協会で表彰されてもいる。ブジーからカーンに協力を申し出た。

ベトナムに駐在していて言葉も学び、トンキン地方でたくさん写真を撮った。
トンキンて”東京”と書くのか〜



1905年、ハノイで物乞いをする人。
農閑期にやってくるプロだとか…。


トンキンはレスリングが盛ん。
人間チェス。駒のみなさん。駒に選ばれることは名誉らしい。


書記。長い爪は農作業をしないってこと。
下は教師の写真か?いすの脚の長さは地位の高さをあらわす。

フランスはベトナムの天然資源を搾取していた。
国内は貧困なのに、米を輸出していた。
そのための道路網作り。
橋はエッフェル社が作ったもの。
エッフェル塔


ってことで人々を骨抜きにするため(←私の説)
フランスはアヘンをすすめるわけで。

アヘンを吸う道具と横になって吸ってる?女性。


ジーは女性に魅せられたらしい。

ま、交際しようにもヨーロッパ女性は少なかったわけで。
ジーベトナムの穏やかな部分を写真に収めていたけれど、
実際は暴動がおきていたりもした。



ファン・ジョン・フー


資源がないカンボジアベトナムとくらべてゆるやかな統治だったとか。
男性は1年以上僧院で修行していたり…


アンコールワットを世界に広めたのはフランスの探検家アンリ・ムオ

国王直属の舞踊団のリハーサル風景。
下は自身も踊り手だったボパ・デビ王女。
ポルポト派の頃、メンバーの9割が殺されるか国外へ
それまで舞踊団は家族も含めて王宮で生活していたそうだ。
マルセイユにやってきて絶賛。一晩で3万人がみたって…どういうことかようわからんが。


1926年春、騎兵隊のロジェ・デュマが日本に派遣される。
カーンが北白川宮と付き合いがあったので皇族の暮らしぶりも写真に撮られた。
大正天皇の葬儀の様子も。


(途中)








やっと最終回…さすがに疲れた(誰も頼んでないっての)。


ベトナムカンボジアラオスを合わせて仏領インドシナといってたとは知らなかった(無知)
で、その辺の北方はたぶん越南とかいわれてたとこだと思うんだけど、
祖先をお祭りする方法が、聞き逃したけど儒教はいっているのか、
お供え物の様子が韓国のそれに似ているようにみえた。
服装は思いっきり中国だわ。地続きで中国に近いと影響強いな〜。
アヘンすってる写真の人は中国人といってもわからん(そりゃ華僑とかで混ざってるとおもうけど)。
フランスもイギリスと同じ手を使ったんだな…。


しかし、全部見て改めて思うに、宗教ってやつは…。
それに民族をかけると大変なことに。
いやそのへん、政治に利用されちゃってたというか。
いや政治というてもなあ。
昔はトルコでもエルサレムでもそうだったけど
イスラム教のアラブ人もユダヤ人も隣同士で仲良くやっていたのに、
近代化の途中でいがみあうようになってしまって今に至る。
ま、その混乱の元を作ったのがどことは…(笑)
中東はなかなかそこから進まないな。
仲良くやっていこーぜと思った。


アルベール・カーンは80歳で自宅でなくなる(破産してたけど家には住めた…)
ナチスが裕福なユダヤ人を調べるために資料を持ち去ったそうだけど、
コレクションはスルー。
1970年代から目録つくるとかの調査・修復が始まったそうです。
30年くらい放置?これらの資料は”眠れる森の美女”だとコメントされてました。
このへんの話を詳しく知りたいのだが…翻訳されてないだろうな〜。
今日は解説者の写メをけっこうとった。
でも英語表記がないからねぇ。探すの面倒。


続きは明日以降。
もう寝る。


→第8回 東洋 不思議の世界 と 第9回 カーンの死 “夢”の終わり のメモ

第6回 勝者と敗者 と 第7回 中東 分割の悲劇のメモ

第4回 塹壕(ざんごう)から見た人類初の大戦 と 第5回 市民たちの大戦のメモ(動画あり)

第3回 かげりゆく共存の輝きのメモ(動画あり)

第1回 大富豪 カーンの“夢”と 第2回 激動の世紀への胎動のメモ(動画あり)