「おだまり、ローズ 子爵夫人付きメイドの回想」


★2015年5月31日追記
BS世界のドキュメンタリー
放送2015年6月2日(1日深夜)〜4日
再放送6月9〜11日まで
海を越えたアメリカン・プリンセス

〈第3話〉バイタリティあふれる次世代のプリンセスたち。英国初の女性代議士となったナンシー・アスター、国王エドワード8世を虜にし、国王に退位すら決断させたウォリス・シンプソンなど。

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この間、首相動静のなかで
ウォルドルフ・アストリア」の名前がありました。
アスター伯のお父さん(初代アスター伯)が作ったホテルでした。

首相動静―9月25日
…ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルで国連の日本人職員らを激励。吉川元偉国連大使公邸で和食レセプションに出席。同ホテル泊。

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ジュンク堂でひっかかったおだまりローズ、
昨日かりて、今日読み終えた。
1冊最初から最後まで読み切るのは久々。
それぐらいおもしろかった。

子爵夫人
Nancy Witcher Langhorne 1879-1964 明治12年
大正天皇と同い年!
メイド
Rosina Harrison 1899-1989 明治32年
ハンフリー・ボガート川端康成と同い年…


メイドになるまでの両親との暮らし、

わたしたちの生活はどこまでも家を中心にしたものでした。
注意深い計画に従って切り盛りされ、
ひとりひとりがささやかな犠牲をはらい、
家族全員一丸となって働くことで営まれていた家庭

二人には胸を張って生きる資格がありました。額に汗して働き、
まっとうに暮らし、家族の面倒をみるかたわら周囲の人々を助け、
幸せな家庭を築き、四人の子供全員に骨身を惜しまず
働こうという気持ちを植え付け、
いい仕事をすれば満足感を味わえることを教えてくれたのですから。
それは立身出世につながるような教育ではありませんが、
当時私たちが得ることのできた種類の職につくためのいい土台作りになりましたし、
最後まで子どもたちに愛され続けたことは、
二人にとって十分な報いだったはずです

特にお母さんとの関係は興味深い。
著者が旅行にあこがれているというのをきいて、
お屋敷づとめの経験のあるお母さんは、
お付きのメイドは主人のおともにでることもあるから、
そのためにはフランス語と婦人服の仕立てを習う必要がある、
といって14歳で学校を終えるところを
フランス語の個人教授を2年いかせ、
そのあと洋裁店に見習いに2年いくことになります。
就職先についても一緒に考えて

ひとまずハウスメイドか厨房メイドとして奉公に出て、働きながらお付きメイドをめざすのはどうかと提案しましたが、
母に却下されました。「いったん何々メイドという色が付いてしまったら、どうしたってそこから抜け出せるもんじゃない。だめだよ。お付きメイドになりたいなら、最初からお付きメイドとして奉公しないと」


またアスター家のまえにつとめたうちの話とか。
メイドは服や下着をつくるのも仕事なんてしらなかったよ。
執事のリー氏の言葉は
へ〜と思うものもあった。

王家の宮殿に使える使用人の仕事は、規模が大きすぎるせいで顔の見えないものになりがちだ。いわば工場で働いているようなもので、各自が細分化された仕事をわりあてられ、担当外の仕事をすることはめったにない。つまり生活の幅が狭いんだ。一度、宮殿から転職してきた下男がいたが、すぐに辞めてもらったよ。決まり切った職務だけをこなすのに慣れすぎていて、担当外とみなす仕事をするのをいやがったのでね。自発的に何かをすることは決してなく、自分の仕事がなんのためにあるかも、ろくに関心を持っていなかった


アメリカ南部の出身である子爵夫人について
アメリカに行った時、
黒人の使用人と主人の関係についての感想もへー。



ここにもアスター子爵家ではたらいてた人たちの話が。


しかしこのアスター子爵夫妻?については
wikipediaの日本語版がない。
二人ともアメリカ生まれ(アスター家のルーツはドイツ)で
イギリス貴族におさまってるところが
あれなんだろうか。


王族関係でスウェーデン国王や
メアリー皇太后の話もでてきて興味深いのだが、
系図 http://f.hatena.ne.jp/Porco/20070714163026
お屋敷についても写真がほとんどないので
これだけはおしい。


お屋敷に行った人のサイト
http://britannia.xii.jp/travel/2012_06/6-01.html


あーでもなんかダウントンアビーは見る気がしないんだよね。
なんでやろ。