高橋源一郎さんの講演会にいってきた


私は朝日新聞の論壇を毎月スクラップしてたくらい、
文章が好きでした。
ってことで行ってきました。


思い出すことからつれづれ・・・


講演会のテーマで年齢層ってのがかわるそうです。
年齢層が高いのは、憲法と文学だそうです。


で、


大学の教授をやって12年だそうです。
同時に男の子二人の育児もスタート。
子育てやゼミ生を通して、いろんなことを教わったそうです。


学生にはしらないだろーと小説を読ませてみると
みんなちゃんと読んでくるし、ちゃんと読めてる。
小林秀雄をよませると「なんでこの人いばってんの?」
ドストエフスキーの白痴、みんな熱いよね、会話が長いとか、名前が長いとか(オチ)
学生はいろいろいってくるそうです。


作家の名前を知ってるのかどーっかってのは
時代によってそのスタンダードもかわってくるわけで、
結局、同じことの繰り返しだったりするから、
それを嘆く必要は全くなかったりして
本を読む能力みたいなのが劣ってたりするというのでは
まったくない。


高橋さんのお母さんの時代にスタンダードだった作家(モーパッサンとか)を
源一郎さんが読んだことないというのが
お母さんにはそれで作家になれんのか的なショックだったそうで。
だとすれば今の若い人がドストエフスキーしらないといっても
知ってる人からすればついにこんな時代がきたかー的な
ショックはあるだろうけど
これもまた同じことの繰り返し。


世界というのはかわるもんだと。
自分が知っているものをみんなは知らない。
言葉の通じない世界、みたいな。
自分中心で見てるとそんなことになっちゃうよね、、みたいな。
必読文学だから読むんじゃなくて、
面白いから読む。


あらゆるものに同じ権利(ちょっとメモの字が汚くて読めないけどたぶんあってる)があるという発想


で、子育てですが、
これも最初は無駄なことと思えてたそうですが
途中から面白くなったそうです。
子供が言葉を覚えていく過程をみることができたとか、
保育園と東京都の小学校のギャップとか。
息子さんたちはおもしろい小学校に入ってるそうです。
で、子育てしてると親はえらい、こどもはえらくないじゃなくて
親は同じ目線に降りて行って
対等だという感覚になっていったそうです。


民主主義っていうのは
共同体のために、何を決めたらいいのか考えるものじゃないかと
家族三人、今日の夕食は何にしましょうで
母子はカレー、お父さんがハヤシライスとかいったとして
多数決できめるんじゃなくて
少数派に配慮するのが民主主義。
たまにはお父さんのいうハヤシライスにしてみようかとなるのが
民主主義。
三人家族が良い状態をたもつことがデモクラシー

だから家族の中でも教育の中でも
民主主義ってのがあるんだよと。
政治だ国会だいわなくてもね。


かなり意訳はいってますが
こんな感じでした。


なるほどなーと思いました。
権利権利1票じゃなくて
一緒に生活してる人のことかんがえての
民主主義
ってことを考えれば、
いろいろぎすぎすしてるなーって思いました。


なんかいろいろガチャって視点がかわった講演会でした。