バクモンで尾張徳川家のことをやっていたので


尾張徳川といっても
どうせつぎはぎだらけなんでしょとか思って
ぐぐるとやっぱりつぎはぎだらけだった。


私はつぎはぎした部分より、
誰が最後に残ったかでみるほうが好きなんで
系図はさかのぼって作るのが面白いと思っている。
意外な発見があったりする。


尾張徳川は18代目藩主が讃岐高松からやってきた人で
曽祖父は水戸の7代目藩主治紀だった。
治紀は慶喜の祖父にあたる。


紀州徳川って存在感ないよなーと思ってて
吉宗で吸収合併されたんじゃない?とか
適当なこと思ってると、
紀州5代目藩主の吉宗のあとは、
四国からいとこがやってきて6代目を継いでいた。
これは知らなかった。
みかんとか関係あるの?やっぱり。
吉宗が将軍になるとその直系は孫の10代将軍家治までなんだけど
そこでとだえると、
将軍の血筋の近さ、吉宗の血筋で
いわゆる御三卿ですが、
ここから11〜14代将軍がでてくる。
キーパーソンは吉宗の孫の徳川治済、一橋2代藩主。
ちなみに松平春嶽は治済の孫の一人である。
9代目藩主で直系がとだえた尾張藩主の10代目は
やっぱりこの人の孫の一人である(13代目までこの系統)。
徳川宗家?本家?を継いだ16代目は徳川治済の曽孫である。


水戸の慶喜が異質で、また本来の系統に戻ってきたって感じだけど
宗家18代目が松平容保の孫にあたるひとで
さかのぼれば水戸の系統なわけですが、
いったいどういうこっちゃという感じである。
慶喜と容保は父親同士がいとこの関係である。