毎週、全国の大学からたくさんの紀要が届いているが、
即行で書庫なので、学生の目に触れる機会は少ないかもしれない。
ま、書庫といっても開架書庫なので、自由に出入りできるのだけれど。
で、そんな新着紀要を1冊ずつ配架していくわけだが、
当然のことながら、いちいち読む暇はない。
たまにぱっと目につくものもあっても
(上智のどの学科かの紀要はおしゃれな冊子だった)
自分に余裕がなかったので流してきた。
だが、入って2ヶ月、
やっぱりもったいないので新着で気になるものを
読んでみようという気になり、選んだのが
明大の教育主事の課程を履修した卒業生や学生の
職場の様子や実習の報告などがまとめられたものだ。
これを借りようと思ったのが、
菊地紘子さんの
「読み書きの力の獲得と生きる力
〜日本語読み書き教室(大田区)の実践から〜」
が気になったから。
この読み書き教室では
戦争の混乱や貧困で学校に通えなかった人(主に60〜70代)に加えて
不登校だった若者(主に10〜30代)の学習に注目する。
この時代、この日本に30代で読み書きに困る人がいんの?と
失礼かもしれないがかなり意外だった。
不登校といったって読み書きくらいはできるでしょ、なんて思っていたけれど、
現状は違うらしい。
フリースクールに通えない人もいるというし、
一度中学を卒業してしまうと夜間中学などには通えないそうだ。
筆者は「学校教育から切り捨てられ、忘れ去られてきた人々」といっているが
まさにそうだ。
読み書きができないということはその機能的な不便さの上に、
何倍もの精神的苦痛も伴う。上記の行動の制限(問診表や書類の記入など)を受けるたびに、悔しい思いや恥ずかしい思いをし、「自分が読み書きできないことを知られたらどうしよう」というおびえがつきまとう。そういう思いを”させられてきた”経験が、次の行動を幾重にも抑制し、読み書きできないことが人に知られないように、何歩も後ずさりをして生きていくことを選択させてしまう。自己肯定感・自信をもてないことがその人の人生を大きく左右する。
読み書きができないことが自己肯定、社会参加すらできなくさせる。
「文字の読み書きという基本的な学習が保障されない」社会であってはならない。
筆者もいっているが、個人の問題というより、社会の問題だろう。
試行錯誤を繰り返しながら教室は運営されていったそうだが、
職員である筆者や講師の信頼関係ができていったことが
ひとりの講師の「勉強するだけじゃなくて人とのつながりも大切にしている」の発言につながり
参加者同士の関係作りに力をいれていくなどして、教室も盛り上がっていったそうだ。
とにかく不登校児の学習のフォローの必要性に気づかされたレポートでありました。