『西太后』 豊かな老後を送りたかっただけ?



著者曰く、正史は前王朝の滅亡から百年前後にかかれたものが多いそうで、
当事者がなくなる一方で遺物や秘密資料が豊富に残っていているのでちょうどいいころあいだそうだ。
また史料の精査が終わるには百年は必要だとか。
漢文の授業で正史の話はきいたことあるけど、こんなに間隔をあけるとは思わなかった。


で、有名なわりには謎が多い西太后(せいたいこう・1835-1908)は今がちょうど旬なのだそうだ。
※もうすぐ没後100年・・・


西太后を知ったのは小学生のときに見た映画が最初だったと思う。
気に入らない人を水でぬらした紙を顔に重ねて窒息させて殺すとか・・・
手足を切り落として半殺し状態にするとか・・・
まーいわゆる悪女で、中国ってこぇーと強烈な印象だった。
ついでにいえば映画かドラマのラストエンペラーで、
なくなったときに口に黒い玉を入れられたのも印象に残っている。
不気味すぎて。


※でも中国が嫌いなわけではない。
小学生のときのリー・リンチェイ少林寺の映画のシリーズ、
アニメや人形劇でみた三国志
とどめがジョン・ローンラストエンペラー
中国の歴史や風俗のおもしろさに興味をもたせてくれたわけで。


しかし映画にあったような西太后の”残虐さ”や
西太后の一族から后をとるなみたいな言い伝え(イエホナラの呪い)とか
※エホナラ?
でたらめな言い伝えが多いそうだ。
すでに乾隆帝の后にこの一族出身者がいたそうだし。前例はあったわけで。
でもまったくなかった話ばかりではないみたいようだけど。
※珍妃を井戸に落として殺した
太后西太后に毒殺されたのではなく脳溢血か脳梗塞と考えられているらしい


現代中国の原点は清末にあるそうだ。
中国の領土、民族構成、地域区分、言語、生活文化は清朝の遺産で
排外主義的大衆狂乱、知識人の反日愛国運動などもここからきたそうだ・・・
※まー日本も似たようなものじゃないかな。


西太后の異称
蘭貴人→懿嬪→懿貴妃→慈禧皇太后→慈禧端佑皇太后→慈禧端佑康頤皇太后
→慈禧端佑康頤昭豫荘誠皇太后→慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭皇太后
→慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献皇太后→慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇煕皇太后

諡号
孝欽慈禧端佑康頤昭豫荘誠寿恭欽献崇煕配天興聖顕皇后


現代中国でよく使われるのは「慈禧」だそうだ。
太后の「慈安」とセットで知ってたのはそこまでで、こんなに長い呼称を持っていたとは知らなかった。


西太后の先祖はモンゴル族清朝の皇帝も漢満蒙の混血
・10世紀以降の中国史は漢満蒙の三強の持ち回り。
  北宋・漢→遼・蒙→南宋・漢と金・満→元・蒙→明・漢→清・満
  こうしてみると漢民族の影が薄い・・・
・秀吉の朝鮮出兵が明朝東北部の弱体を招く〜ヌルハチがやってくる
伊藤博文と光緒帝が面会している。
・東太后は読み書きができなかったらしい。西太后の文章も誤字が多かったらしい。
 ちょっと想像できない。書をたしなむとかいうのは男性のみだったのかな。
反日愛国の起源は日清戦争
「わが国、四千余年の大夢の喚醒は、じつに日清戦争の敗戦、台湾割譲、賠償金二億両に始まる(梁啓超)」
 日清戦争の敗北は日本で言うなら黒船、真珠湾
 反日の激烈さは反英、反仏、反露とは次元が違うこと
・中体西用と和魂洋才のちがい

・著者のいう中国的キャラクター
 わがままで自分勝手で面子を気にするくせに矛盾した言動をしても平気で、
周囲の顰蹙を買いながらもなぜか中心人物になってしまう。