ナポレオン2世とハプスブルク

写真:ライヒシュタット公(=ナポレオン2世

『マリー・ルイーゼ ナポレオンの皇妃からパナマ公国女王へ』を読んだ。

塚本哲也さんといえば他にもハプスブルク関係の本を出しておられるが
中学生か高校生の時に最初にはまったのは江村洋さんの2冊の新書だ。-
ハプスブルク家の人間の顔の特徴とかこの新書で知ったと思う。


で、マリー・ルイーゼはナポレオンの2度目の奥さんなのだが、
ハプスブルク家の皇女であり、マリー・アントワネットは大叔母にあたる。


この人が子供が生まれずに離婚されたジョゼフィーヌにかわって
王子を産むのだが、マリー・アントワネットの二人の子供のその後以上に、
このナポレオン2世の存在は全然しらなかった。


Napoléon François Charles Joseph Bonaparte は1811年3月20日チュイルリー宮でうまれた。
その後、ナポレオンは失脚し、”フランツ”はハプスブルク家で養育される。
母親はパナマ公国の女王となるも、
首相メッテルニッヒによってナポレオンの息子はウィーンにとどめおかれる。


数年おきにたずねてくる母に会うのを楽しみするという、
なんつーか家庭的には恵まれない人だったわけだが、
なかなかの美男子で”ナポレオンに似て”頭もよかったようだ。
165センチしかなかった小男の父親に似ず、190センチもあった。
※ちなみにマリー・ルイーゼは176センチ


ライヒシュタット公となった美男子はすぐに宮廷のスターとなり
メッテルニッヒもフランスに誘拐されることを恐れたり目立つ存在になっていくのだが
結核でなくなってしまう。


とにかくナポレオンの息子がハプスブルクにいたってのが全然想像できないのだが
※なぜフランスに現れたのがナポレオン”3世”だったのかはわかった
まともに成人していたら、どんなことになってたかな〜とおもった。


マリー・ルイーゼもナポレオンやフランス側からの見方だけしか
今まで伝わってなかったような気がするけれど
パナマでは記念館もあるくらい善政をほどこした為政者であったそうだ。
楽家ヴェルディを子供のときに支援してたりもする。
※「第一次十字軍のロンバルディア人」はパルマ女王に献呈されている

サラエボ事件は貴賎結婚のひとつの悲劇でもあるが、
それを招いたのが彼女の孫(こちらもマリー・ルイーゼとナイペルクの貴賎結婚じゃないのか?)で
ハプスブルク崩壊の一因になってしまったことは皮肉。


とにかく知らないことだらけでした。

父 ナポレオン・ボナパルト
母 マリー・ルイーゼ
小さいころの ナポレオン2世
やっぱナポレオンに似てる。


  • マリア・テレジアと孫娘のマリー・テレーズ・シャルロッテ(Madame Royale マダム・ロワイヤル)が名前の通り、よーく似ている件。彼女の本を書いた人のインタビュー。

  • マリー・ルイーゼの息子たちは母親似?初代モンテヌーヴォ伯の鼻はどうみてもハプスブルクです。
  • ナポレオンの息子のブロンドはハプスブルクから?みんなカツラ?なので地毛がわからないがルイ・シャルルはブロンドのようだ。
  • ナポレオンに捨てられたジョゼフィーヌの連れ子の子孫の栄え方は皮肉。スウェーデン王家、ロマノフ王朝にもつながっている。ウジェーヌ、お見事!(実の兄弟よりも連れ子の二人が最後までナポレオンを慕っていたとか)


ルイ14世ルイ15世は名前だけ見ると1代違いだが、
間に二人いる。ルイ15世太陽王のひ孫。
ついでにルイ15世と16世の間にも一人いる。
みんなルイ。写真つき系図はこっち。
http://f.hatena.ne.jp/Porco/20070225003252


マリー・アントワネットのひいひいじいちゃんはルイ13世