新日曜美術館 狩野永徳


10/21の新日曜美術館
乱世を駆け抜けた天才絵師 狩野永徳


襖絵ってのはやっぱ部屋で見なきゃねーと思ったのは
こんぴらさん円山応挙を見に行った時。
ってか応挙の何を見たのかまるで記憶にないのだが(2,3年前)
…透明なプラスチックの板越しに何かをみたような…(レプリカ?)。
たぶん応挙のではないけど壁からふすまに絵がつながってる部屋の前で、
ああ、こいういうのは美術館じゃわかんねーとしみじみ。



狩野永徳はお城とかお寺の障壁画を手がけていたそうなのだが、
そのおかげで権力者がそうでなくなった時に、
お城と一緒に絵も燃えてしまい、現存するものは少ないそうだ。
唐獅子図なんかも構図(獅子の足元が窮屈そう)から元は障壁画だったんじゃないかとテレビではいっていた。
↑画像を見てもらえればわかるが、でかい。
ただガラス越しだと、どこにおかれてたんだろうとか想像しにくい。
襖とか屏風ってやっぱ軸みたいなものとは楽しみ方みたいなのは変わると思う。
襖の上の欄間とか壁とか床とかそのへんひっくるめて味わえれば最高です。
美術館だと正面からしか見られないからピンと来ない。




右上:信長の肖像画(有名なやつとは別)もかいている。
しかしなんでこんなに金ピカなんだ。
鏡の間みたいなものか?部屋を明るくするためとか?
昔行った二条城、ひさしが長くて部屋の中がひどく暗いというか陰気な感じがしたけど…
いや姫路城は明るかったけど(時代が違う)…どーなんだろ。
じゃなくて、驚いたのが、洛中洛外図屏風は永徳が23歳の時のもの。
えええーーーー。またかかれた人物は2500人くらいらしい。
あと、狩野派ってのがあるとおり、工房って形で仕事を請けてたところが
なんかルネサンスみたい(適当)。

芸術新潮2007年11月号:信長の肖像画の話とか
信長さま、秀吉さま、ご推奨!!って…→特別展覧会 狩野永徳
それからこんなものを見つけた→文化遺産オンライン 連想検索がある…